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憧れのハワイ航路

2008/05/11 09:23
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都筑区版 119号  
平成20年4月25日発行


常夏の国、ハワイ。ひところ、「憧れのハワイ航路」は夢だった。航空路の急速な発展で、今は日本には身近な海外旅行のひとつである。日本から初めてハワイに砂糖キビ畑の出稼ぎ労働者が渡ったのは、1868年(明治元年)4月25日のことだった。横浜港に集まった移民団、農民出身者は極めて少なく、植木屋、左官屋、桶屋にこんにゃく屋、中にはやくざ、遊び人浮浪者までいたという。34日かかって6月1日、ホノルルに着いた。上陸したときは、揃いの印半纏に豆絞り、粋な出で立ちだった。ところが、聞くと見るとは大違い。熱帯の気候は過酷だった。自殺者も出た。このあと、日本とハワイとの間に移民に関する条約が結ばれた。日本初の移民団は、たまたま明治元年だったので、「元年者(がんねんもの)」と呼ばれた。ハワイ移民のパイオニアである。


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4月号 編集後記

2008/04/15 10:30
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写真は中里地区 梨の花

青葉区版  300号  2008.4.11
編集後記

4月11日は、「ガッツポーズ」という言葉が誕生した日、といわれている。1974年(昭和49年)のその日、ガッツ石松はWBCライト級タイトルマッチで、チャンピオンのゴンザレスを8ラウンドKO勝ちで王座奪取。その時勝ち誇ったポーズをマスコミが「ガッツ石松のガッツポーズ」と駄洒落で勝利を伝えてからといわれる。デビューしたてのリングネームは鈴木石松。三度笠の潮来スタイルでリングにあがって受けた。石松のように短気なところが試合に出てしまう。そこでガッツのあるボクサーに、と改名。とたんにめきめきと頭角をあらわした。正確には、ガッツポーズは1970年代のボーリングブーム、ストライクを決めたとき、「よっしゃー!」と取ったポーズが元祖のようである。

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3月号 あおばタイムズ編集後記

2008/04/09 15:23
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平成20年3月12日  あおばタイムズ編集後記



日本で一週間に一度休日にするということが始まったのは明治になってからである。それまで武士は一六休暇制だった。つまり毎月、一と六の日を休むというシステムをとっていた。西洋人が日曜日を休日としているということはだいたい知られていた。オランダ人は日曜日をゾンタクといっていたので、休むのをドンタクと訛って使っていたのである。博多ドンタクという祭りは、オランダ語のそのゾンタクから来ている。土曜日半日休むことを半ドンというのは、ドンタクの半分という意味である。1876年3月12日、翌月の4月1日を期して、学校、官庁、会社など日曜日を休日とすることが制定された。


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編集後記   2008.1.11

2008/01/19 10:48
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編集後記   2008.1.11

1月11日は鏡開きである。供えた鏡餅を割ってお汁粉にして食べる。もともと鏡は女性の象徴なので、鏡餅を煮て女性の祝日ということだったようだ。武家では武具に供えた鏡餅を、具足餅として男子のために祝った。これが武道の「鏡開き式」、武道道場の行事として行われている。これは20日だった。それが江戸時代、11日に変わった。三代将軍・徳川家光が1961年4月20日に亡くなったからである。命日を祝うわけにはいかない。翌年から鏡開きは11日になった。それをもとに、一般家庭でも床の間に、鏡餅を飾って正月が済むとそれを雑煮や汁粉にして食べるという風習がひろまった。こういうお正月の過ごし方がだんだん見られなくなったのは寂しい。


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2007.9 青葉区版 都筑区版 編集後記

2007/09/26 08:51
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写真は  彼岸花  酒匂川



編集後記

2007.9.14  青葉区版
2007.9.28  都筑区版


江戸城の大奥の制度を確立したのが、春日局(斉藤福)。将軍家光の乳母、である。父は明智光秀の従弟。本能寺の変後の戦いで破れ、秀吉に処刑される。福は女であることから追われることなく、母方の親戚に養育された。それが、後年、二代将軍秀忠の嫡子・竹千代(家光)の乳母に任命される。秀忠の正室は於江与(姉は淀君、信長の妹・お市の娘)である。父が明智の家臣だった福とは因縁の仲になる。徳川の世になると、敵の敵は見方で、事情が一変したのだ。竹千代と実弟・国松の跡目争いでは、福の暗躍で、家康を動かし、竹千代が三代将軍に決定。将軍の権威を背景に、宮中に働きかけ、春日局の称号を得る。大奥の公務を取り仕切るようになった。「強い女」「猛女」「烈女」のイメージである。天正7年(1579年)9月14日に亡くなっている。65歳。


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